Taneができるまで(1:スタート編)

by 五味 洋子

2017年5代目善幸から6代目仁へ代替わりをしました。
5代目善幸は発酵兄妹の父、こうじの小売、みそづくり用の道具の貸し出しを開始、そして醤油の製造をやめるという決断をしました。4代目甚三から五代目の代替わりは、4代目の体調不良により行われました。
そんな話を聞いていたので、代替わりは先代が元気なうちにしたい。そんなことを漠然とおもっていました。
そして2017年春、家族の話し合いと(ちょっとしたとっくみあい!)の結果、仁が6代目になりました。
6代目になり、1番最初にしたことは、元醤油蔵を改修すること。
下記写真は醤油のこうじをつくっていた麹室。
醤油製造をやめてから約35年放置していた場所です。(現みそ蔵の一角に位置します)

旧麹室

階段があり、中二階もありました。

中二階も使われてなく、醤油用の木桶が放置されていました。
食の体験スペースKANENTEをつくるとき、新築をするのではなくこのスペースをリノベすることも一瞬考えましたが、老朽化もひどくこの時はリノベーションを諦め新築をしました。KANENTEが2016年にオープンしてからは様々な人が交流する、まさに食を通した公民館のような場所となりました。みそ仕込み体験に限らずいろんなイベントを企画し、たくさんの場所が訪れる空間となりました。新築したKANENTEは、古いみそ屋を訪れるためのきかっけのような、みそ屋や暮らしに興味を持つひとが集う入り口のような役割になりました。
そして、2017年改めて元醬油蔵のスペースを見回したとき、放置しているのはもったいないと率直に思いました。KANENTEのように自分たちが使うのではなく、誰か別の人がまちに開いた場所として活用できないか、そんなことを漠然と思うようになってきました。KANENTEという名前も地元の金手自治会からとったものです。150年この場所で商売をできたのはこのまちのおかげあること、そしてさらにこれからもこのまちで商いを続けていく意思表示としてこの名前にしました。まちへの還元という面からも、醬油の歴史も残しつつまちに開いた場所へリノベーションできないかと。
そんなことをぼんやりと考えているころ、甲府駅の北口のコーヒースタンド「AKITO COFFEE」を営むアキトくんが、コーヒー豆を焙煎できる場所を探しているという話を聞きました。まだ工事のスケジュールも何も決まっていないなか、元醤油蔵を直すが、コーヒーの焙煎所にしてみないかと話を持ちかけたところ、アキトくんもまさかの「いいですね!おもしろそうですね!」と一つ返事が。
ここから「Taneプロジェクト」が始まりました。
はじめは、コーヒー豆もみその原料の大豆も豆だから豆プロジェクトにしよう!と意気込んでいましたが、実はコーヒー豆はコーヒーの実の種子であること、大豆も種子にもなることから、種「Tane」になりました。放置されていたその場所も名前をつけると急に愛着がわきはじめました。

みそ蔵は店舗兼自宅の裏に位置するので、小さい頃から出入りしていました。
薄暗い蔵だけど、当時から優しい光がさしこみ、みそやほのかに醤油の香りがする場所でした。
私が生まれたときにはもう醬油はつくっていなくて、元醤油の製造場もちょっと秘密基地のようなそんな場所でした。どんな風にこの場所が生まれ変わっていくのか、再生できるのかそんな気持ちでこのプロジェクトははじまりました。
続く。

この記事を書いた人 五味 洋子

発酵兄妹(妹)三兄妹の末っ子として生まれ、高校卒業まで甲府市で育つ。東京農業大学醸造科学科を卒業後、2009年ライフスタイル提案会社に就職。社員食堂の立ち上げや、新規事業部で商品企画を担当。2013年山梨へUターン。2014年五味醤油入社。六代目を務める兄仁と二人三脚で奮闘中。WEBマガジン〔大人すはだ〕コラム連載。YBSラジオ〔発酵兄妹のCOZYTALK〕出演中。