木桶修繕2019 -木桶職人集団結い物で繋ぐ会-
木桶とは、みそや醤油、日本酒などを仕込みに使う木の容器のこと。
写真は五味醤油の木桶。大きさはまちまちですが、蔵にあるほとんどのものが、約4トンのみそがはいる25石と言われる大桶です。第二次世界大戦の甲府空襲の被害を受け、蔵は全焼してしまったため、戦後購入したり、被害のなかった蔵から譲ってもらったものをメンテナンスしながら、約70年使い続けてきました。
昔は各地域に桶屋さんが沢山あり、味噌や醤油日本酒の醸造やも水を汲んだり物を運んだり暮らしの道具として使われていました。しかし、現代では容器はプラスチックに変わり、醸造場でも生活のなかでも目にする機会が減ってきました。現在木桶で仕込まれるみそは、全体の0.3%、醤油は1%と言われています。
そして、現在大桶を作れる会社は、日本に2社のみ。1社は大阪の藤井製桶所さん。もう1社は、香川県の小豆島にある醤油屋さんヤマロク醤油さん。日本の文化を支えてきた木桶の文化を守るべく、醤油屋さんが桶屋さんとしても立ち上がったのです。(とても素晴らしい取り組みなので、詳しくはこちらから【木桶職人復活プロジェクト】どうぞ)
わたしたちが今回お願いしたのは、木桶職人復活プロジェクトから派生した木桶職人集団【結い物で繋ぐ会】。普段は大阪、徳島、長崎五島列島とそれぞれで活動をしていますが、大桶(醸造用の大きい木桶)の製造や修繕のときに集まり木桶の文化を継承している木桶集団です。結い物で繋ぐ会は蔵に出張して作業をしてくれます。今回約60年ぶりの底板の修理ということで、せっかくなら修繕の様子を五味醤油の蔵で皆で見届けたい!とお願いする流れになりました。
序章が長くなりましたがやっと本題へ。
2018年8月木桶の底からみそが漏れているのが見つかりました。急いでみそを掻き出し、木桶を確認したところ底板が壊れていました。みそを発酵させる大切な保存容器が壊れてしまうのは大打撃です。木桶を新しく買うか、直すか、諦めて捨てるか選択を迫られました。五代目の父親の代でも新桶を買ったことはありません。プラスチックやステンレスの容器と木桶との1番の違いは、発酵に欠かせない微生物が住み着いているかどうか。五味醤油のみその味は、丁寧なこうじづくり、そしてずっと使ってきた木桶が守っていたのです。なので、できれば修理をして今までと変わらないつくりをしたい、そして木桶業界の厳しい現状のことも発信できないかと思い、今回パルスシテムさんの助成金をいただき、木桶修繕が行われることになりました。(パルシステムさんありがとうございます!)
今回修繕する木桶は1つ。
✔︎底板の入れ替え(新しいものにする)
✔︎箍の編み直し
側桶はそのまま、底板を新品にして、箍も全て竹ものに編み直すというものです。
まずは半分に折れてしまった底板を取り出します。高さ2m直径2mある大きな桶。どの工程も必ず2人1組になり進めていきます。
【底板の取り出し】
取り出した底板。白くなっているのはおそらくみその酵母や、チロシンによる結晶。
側板の底の方の木の状態も良くなく、今回底板の位置も少し上にあげることになりました。
【新底板のつくり】
木桶の要である底板を新調していきます。すでに製材してきた杉板を14本を合わせて底板をつくっていきます。
伝統的な製法の木桶は、金属の釘、接着材は使用しません。竹で釘をつくっていきます。発酵兄妹も釘作りお手伝いしました。70本の釘をその場でつくりました。
「つばのみ」という昔ながらの道具を使い、釘をさすガイドの穴を開け、竹釘を刺し、板を重ね合わせ打ちつけていきます。木と竹が繋ぎ合わさることで強度が増します。またみその塩分の塩が木に入り込むと木が膨張して木桶を強くすると言います。
14本の杉板が1枚になったら、削っていきます。この切る作業も電気は使わずに手作業で、木の変形を予想して、あえて楕円に切っていくそうです。
角度を測り丁寧に丁寧に削っていきます。
【箍を編む】
箍用の竹は、徳島の15mもの真竹を持ってきてもらいました。立派な竹を4等分したものを折らないよう慎重に編んでいきます。
この日は最高気温37度炎天下での作業。暑い外での作業本当におつかれさまでした。
【箍を外す、箍をはめる】
古い箍を外し、新しい箍をはめていきます。一部ステンレスの箍がはまっていましたが、ステンレスは収縮しないので、塩を吸った木とステンレスの間に歪みができて漏れてしまうこともあるそうです。
結い物で繋ぐ会は職人集団ですが、もくもくと作業をするだけでなく、木桶文化を伝える活動もしています。この日はパルシステムさんの組合員さん向けに、見学会と箍を外す作業の体験もさせてもらいました。参加した人のなかには木桶を懐かしがる方、木桶の危機的状況に驚きを隠せない方など皆さん多くの学びを得ていたようです。
1番上は仮の箍、古い箍は金槌で叩き、少しずつ下げていきます。これも二人一組での作業。
「せーの」と掛け声をかけながら力を合わせて行います。五味醤油の職人も手伝いました。
箍をはめるときは竹に水をかけながら行います。竹は乾くと固くなってどんどんしまっていくので、水を吸収させ膨張させ滑りやすくします。
2人1組でハンマーをつかい箍を締めていきます。ここも「せーの」と声を掛け合い進めていきます。
【底板をはめる】
新しい底板を新調した箍をしめた木桶にはめていきます。上から下へハンマーで押していきます。今回底板の側面の角度が若干合わず、途中で底板の角度を鉋で削り修正して入れ直しました。
ある程度底板がはまったら、木桶を立てて、中からハンマーで押していきます。
そして最後は
大人3人でやっと持つことができる重い木柱で叩いていきます。上の写真は、木桶の中に1人、上に2人いて持ち上げています。
幅10cmもない側板の上に立つだけでも大変ななか、厳しい暑さのなか、木柱を持ち上げ叩きつけていきます。
作業道具を運ぶだけでも大仕事。どの作業も気が抜けません。
【漏れチェック】
木桶は入れたものが漏れたら使えません。最後に水を入れてもれていないか最終チェックを行います。
水を入れて一晩置いて確認します。
漏れは大丈夫だったので、最後水を出して完成!!
木桶を元の位置に戻します。底板も入ったあとの木桶はとても重く運ぶのも大人8人かかりです。高さ直径2m以上はある大桶は何をするにも大変です。
そして!!!これが今回修繕した木桶です。側板はこれまでのもの、底板と箍を新調しました。
かっこいいーーーーーー‼︎!!!
今使っている木桶は、箍は金属のものになっています。この木桶たちもいつか箍を付け替えてあげたいです。
今回木桶修繕をしてくれた結い物で繋ぐ会のみなさん
左からみどりさん、親方、岸菜さん、宮崎くん。
右の二人は、徳島の司製樽さん。普段は寿司桶やおひつなどの制作や修理、職人さんのなかでは珍しく木桶も樽も扱っているそうです。みどりさんは現在司さんで修行をしています。華奢な体で男性顔負けの作業をしていました。今回のリーダー親方。とても豪快な人柄と軽快なトークでも、手も休まずずっと動いていました。朝も誰よりも早く来て作業をしていました。
そして、このチームを束ねる岸菜さん。大阪できしな屋というセレクトショップを運営しています。企画や営業など裏方から実際に作業もこなします。木桶にまつわるワークショップの企画などもしているので、次回はワークショップも開催したいです。
最後は、長崎の五島列島から来た日本一若い木桶職人、光ちゃんこと宮崎くん。桶光という屋号で木桶屋さんを五島列島の福江島で営んでいます。お兄さんは同じ島で鍛冶屋さんをしています。宮崎兄弟は日本の伝統を支えるキーパーソンになること間違いないです!!
木桶修理を5日間蔵で行なっていると、父がふと
「お父さんが小学校低学年だったころまでは毎年桶屋さんが来てくれていたよ」と。
60年数年前までは、県内にはみそ醤油日本酒屋さんが100件以上あったと言います。(今は全部合わせても20件ほど。)なので、木桶修理ができる木桶屋さんも県内にいたそう。当時は毎年修理に来ていたと頭の片隅にあった記憶が蘇ってきたそう。時代の流れとともに、醸造蔵の衰退とともに木桶屋さんも職人も減っていきました。五味醤油でも蔵に木桶職人がやってきて、竹の箍をはめかえるのは60年ぶり。発酵兄妹も初めてのことでした。今回結い物で繋ぐ会の皆さんの木桶を守りたい想いから見学も快く引き受けてくださいました。見学に来た大人たちも木桶の大きさ、そして職人さんたちの技に感動していました。
庭で遊んでいた甥と姪もいっしょに職人さんたちの作業を見守りました。
彼らの目にどんな風に写っていたかはわかりませんが、大人たちが汗を流しながら大きな木桶に向かって、一生懸命作業している姿は、父の幼いときの記憶のように片隅にでもいいので残ってほしいです。
今は木桶が特別なものになってしまいましたが、木桶仕込みを残していくこと、そしてこの文化を繋いでいくことが、まちのみそ屋の使命であると思いました。
桶は1つ作ると100年から150年もちます。なので、昔は、おひつやすし桶は嫁入り道具として家庭にあったそうです、現在、おひつやすし桶などをつくる職人は60名ほどそして平均年齢は70歳だといいます。桶の用の竹をつくる竹屋さん、道具をつくる鍛冶屋さん、そして桶屋さん、すべてがこのままでは継承されずになくなってしまうという危機感からヤマロク醤油さんや結い物で繋ぐ会さんが立ち上がりました。皆で笑いながら、「あと70年近く使えるからこの木桶が壊れてなくなるのは見届けられないね〜。」と話しました。自分たちが生まれる前からそこにあり、そして死んだあともきっと変わらずに使われていく。。。
醸造蔵では、元々木桶が主流でしたが、時代の流れとともに、FRP(ガラス繊維を含ませたプラスチック)ステンレスタンクと仕込み容器も変わってきました。五味醤油は、空襲の影響もあり、容器の買い替えが困難だったので、ずっと同じ木桶を使い続けてきました。たまたま使い続けてきた。本当にたまたまのことですが、今この現状のなか、とても尊いことになりました。たまたま木桶を使い続けてきたみそ屋ですが、今も使っていることを継承し、伝えていけたらと思います。
職人さんたちの話のなかで、「木は生きている」という言葉が心に残っています。会話の節々で聞きました。
生きている木に発酵菌たちが住み着き、醸され食品が完成します。元気な土壌で木や竹が育ち、それを伐採する人、そしてその切り出された木々を組み上げる木桶職人さん、そしてその木桶を醸造に使う醸造家、消費され調理され食卓に並ぶ。この循環が消滅の危機にあります。全てを守り賄うことは難しいですが、それぞれがしっかりと現状を知り、役割を全うすることがどれだけ大切なことか、、今回考えさせられました。
どんっ、どんっと木槌の音、「せーのっ」という威勢のいい声が響き渡った5日間はまるで祭りのようでした。同じ方向を向き、100年先を見据えた真摯なものづくりにたくさんの感銘を受けました。文化を伝えるまちのみそ屋としてできることはたくさんあるなと再認識。祭りごとも日常も大切に紡いでいきたいものです。
この記事を書いた人 五味 洋子
発酵兄妹(妹)三兄妹の末っ子として生まれ、高校卒業まで甲府市で育つ。東京農業大学醸造科学科を卒業後、2009年ライフスタイル提案会社に就職。社員食堂の立ち上げや、新規事業部で商品企画を担当。2013年山梨へUターン。2014年五味醤油入社。六代目を務める兄仁と二人三脚で奮闘中。WEBマガジン〔大人すはだ〕コラム連載。YBSラジオ〔発酵兄妹のCOZYTALK〕出演中。