時を紡ぐ

by 五味 洋子

79年前(昭和16年)

この写真は、1941年、79年前。
この4年後1945年7月6日〜7日の甲府空襲により五味醤油は全焼しました。当時の蔵やこの写真の店舗も壊滅。
現店舗にある金庫のみ残ったそうです。

甲府空襲は「たなばた空襲」と言われ、1,127名の死者が出たと言われています。町中焼け野原になり、たくさんの犠牲者がでたあと、三代目善次郎はゼロから立て直しました。
痛ましい体験を経て絶望からのリスタートだったことは間違いないですが、市民の食を支える調味料、必要なものだったからもう一度始めることにしたのでしょうか。

昔から五味醤油のある金手町は商人の町だったようで、たくさんの商店があったそうです。

30年前(平成2年)

この写真は、1990年、30年前。
現KANENTEのある場所にはミシン屋さんがあったそうです。
住む人やそこでの営みは変わってしまいましたが、クランクの道や奥に見える愛宕山はそのままです。

現在(令和2年)

今年になってから、近所でまた2件建物が無くなり空き地が増えました。
父(五代目)が小学生だった頃は、全校生徒1500人。
現在孫(七代目?)が通っている小学校は、全校生徒約150人。生徒の数は10分の1に。
少子高齢化の最先端のような場所です。

高齢者といっても元気なシニアも多い印象です。並びにあるコンビニの店員さんはおろらく父より年上の近所のおばちゃん。「そのブラウス素敵ね、よく似合っている」など日々声をかけてくれます。コンビニエンスだけを求めると、コミュニケーションなど不要かもしれませんが、朝のコンビニのおばちゃんはもはやこの街の名物であり、大事な財産です。レジが最新鋭のものに入れ替わっても今なお現役で働くおばちゃんには頭が下がります。

変わる街並み、変わらない営み

そこに住む人も、街の様子も少しずつ変わっていますが、
変わらないこともたくさんあります。

みそをつくり販売するとても地味な商売をしていますが、今回のコロナ禍のなかで、改めて食という暮らしの基本を支えていることを実感しました。卸先が休業して販売が止まってしまった取引先もありましたが、暮らしの営み(個人消費)は止まることがありませんでした。世の中に不必要な仕事なんてないとは思いますが、誰かに必要である商売をずっと同じ場所で続けてできていること、ありがたい限りです。

突然の天災で街の風景が一変してしまうこともあり得ます。自然の一部としてここで生きている限り、どこにでも起こり得る問題であるということを心に留めて。そして人によりもたらされる争い、戦争は二度と起きてはならないように。。。

この記事を書いた人 五味 洋子

発酵兄妹(妹)三兄妹の末っ子として生まれ、高校卒業まで甲府市で育つ。東京農業大学醸造科学科を卒業後、2009年ライフスタイル提案会社に就職。社員食堂の立ち上げや、新規事業部で商品企画を担当。2013年山梨へUターン。2014年五味醤油入社。六代目を務める兄仁と二人三脚で奮闘中。WEBマガジン〔大人すはだ〕コラム連載。YBSラジオ〔発酵兄妹のCOZYTALK〕出演中。